今日のわたし
おばあさん、は私の母の母。私を育ててくれた人

 私が祖母をおばあさんと呼んだのは、あたりまえだけどしゃべれるようになって間もなくのことで、祖母は50歳ぐらいだったと思う。母の兄の娘のいちばん上のが私より7歳年上でしたから、祖母は43歳ですでにおばあさんと呼ばれていたんだと思う。でも当時はそれぐらいの年齢になるとたいがい息子や娘に子供ができたようで、私も祖母もごく普通が幸せの尺度の時代の人でしたから、おばあさんと呼ばれるのに抵抗なんかなかったと思う。
 家の中におじいさんとおばあさんがいる。おじいさんおばあさんが家族を支えていた時代でした。当然財産と財布をにぎっており、また年長者は偉いという考えは一般的でしたから、家の中で敬われていました。
 いつごろでしょうねぇ、ジジババヌキなんてことをいうようになったのは。
 私が大学を卒業したのは東京オリンピックが開催された年でした。そして日本は高度成長期(1950年から70年)のまっただなか。お金がなによりも大事とされ、バリバリ元気に働ける世代が財布のひもをにぎるようになって、おじいさんおばあさんの立場に変化が起きたのではないでしょうか。
 今の若者に、昔はおじいさんおばあさんが家の中でいちばん偉かったといっても、きっと冗談いっているととられます。それぐらいおじいさんおばあさんの立場は変わりましたね。
 私のような世代でさえ今はおじいさんおばあさんが偉かった時代を思い出しもしません。おじいさんおばあさんをジジババヌキと言って、核家族化した。おじいさんおばあさんを追い出したのは、私の世代ぐらいからだったのかな。その私の世代も今子供が成長し、自分たちがジジババになりつつあるのです。ちょっとちょっと、私はババにはならないわよ、といくら頑張ってみても年齢がくればババになる。
 私より下の世代が子供を生んだころ、おばあさんになったその親が、とんでもない、おばあさんなんて呼ばれたくないと抵抗した人もいました。それで大ママ(大きいママ)とか、名前を呼ばせていました。それをそばで見ていて、どう呼ばせてもおばあさんはおばあさんなのにねぇと私の世代は思う人も多い。
 ついこの前、女の子供を持つ40代の知人が、おばあさんになりました。10代のその娘さんがかわいい女の赤ちゃんを生みましたから。
 私の祖母が40代でおばあさんになったのをとても自然に思っていたのは、祖母が化粧なしで地味な装いだったからでしょうか。今の40代はまだまだ色気盛り。実際知人が実質おばあさんになると知った時はショックでした。おめでとうといえなくて、えーっ本当! と大声をあげてしまいました。
 それはまだ子供のように思っていた娘さんの妊娠に対しての驚きではなく、すてきな知人がおばあさんになるばかりがショックだったのでした。あの時私は一度も娘さんにお祝いの言葉をかけなかったと思います。若いのにおばあさんになる知人を気の毒に思ってばかりだったのでした。
 おばあさん、ジジババヌキとばかにしてきたそのジジババの立場になった知人を目の前にして、そうか私も(私は知人より年上)おばあさんになってもおかしくない年なんだと思いました。でも実際は人ごと。息子が子供をつくらない限り、私はおばあさんにならないんだもの。
 ある日お茶の稽古の帰り、着物を着てお菓子屋に入りました。そこにようやっとママぐらいはいえるようになった幼児が、ベビーカーに乗せてもらって、お母さんと入ってきました。ニコニコ笑って私を見上げるから、まあいい子ねぇ、かわいいねぇといいました。そしたら一層元気になって、バーバといったのです。
 私キョトン。その子のお母さんは、あわてて違うでしょ、バーバじゃないでしょ、おばさんでしょ、といいました。たぶんその時私はムッとした顔になっていたと思います。お母さんは、すみません、といいましたもの。目をあげてお母さんを見ると、20代後半。そうか、この人のお母さんは私より若いかもしれないんだと思いました。
 頼んだお菓子の包みを受け取って、私はそそくさと店を出たのでした。止めておいた車にもどって、シートベルトをしめながら、ああ着物着ていたからおばあさんに見えたんだ、きっと洋服だったらバーバなんていわれなかったんだ、と思い直しました。
 夫にこのことを話しましたら、着物のせいじゃなくて、おばあさんの年だからさ、といいましたけど。
 おばあさんと呼ばれるのは、私の祖母も最初は抵抗があったかもしれないと今思いました。

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