今日のわたし
イヨーッ男前!

 石津謙介さんが某女性誌の「年の重ね方にはコツがある」という特集で「60歳からのおしゃれはどうすればよいか?」と聞かれた時「平日はビジネスウエア、休日はスエットしか着たことがない男性、40代・50代をおしゃれに無関心で過ごしてきた人が、60を過ぎて突然おしゃれになれるわけはない、もう手遅れです」と答え、充実した人生を生きてきた人は何を着てもカッコよく見えるし、そうでない人は何を着てもカッコよくなどならないと、冒頭で書いていらっしゃったのです。本当のことだと思う。あんまり本当のことなのでチクチク胸が痛みました。
 おしゃれも人生も手遅れの年齢があるということなのですねぇ。
 男性のおしゃれと女性のおしゃれは違います。根本的なところでまったく違うと思います。男性らしくと女性らしくは全然違うじゃありませんか。
 で、私がず〜っと思っていることは、60代以上の多くの男性の格好がおばさんっぽいことです(男前からほど遠い)。
 あれは奥さんがおばさん感覚で選んだものを着ているせいとはっきり申し上げましょう。普通の男性にはない選択感覚ですもの、あれ。もちろん奥さんが悪いわけではありません。自分の着る服さえ選べない男性のせいです。
 それにしても自分を見せる衣服を奥さん任せにしていて平気というのは、気持ち悪いですよ。それってまるで自分がないってことでしょ。家事一切を任せてきたんだから、命をつなぐ食も任せてきたんだから、これでいいのだとおっしゃる人もいるのかな? そうなら、あの格好は超カッコ悪いですよって申し上げます。家事も食もプライベートだけど、外出着は社会性を考慮しなければならないものと私は思うのです。
 着物の時代、多くの日本の男性はそれをやっていたけど、着物は洋服とは違います。太宰治が単衣の季節になっても着るものがなく、奥さんが仕方なく奥さんの着物をほどいて仕立て直してくれたのに、気に入らなくて不快だったと書いていました。
 着物の時代は母親や奥さんが用意するのが普通でした。でも当時の男たちがおばさんっぽくならなかったのは、まず素材には男ものと女ものがあったからなのです。男ものは女ものよりぐんと質がよかったのです。男ものの中から選んで男仕立てにすれば、おばさんっぽいなんてことならないのです。太宰治が気に入らなかったのは女ものの布だったからじゃなかったかと思う。
 男の背広が男っぽいのは、男ものの布を男仕立てに仕上げるから。洋服でもやっぱり男ものの布は柔じゃないのです。色もたいがいは地味。ネクタイだけに色や柄をもってきて決める、だから背広はどんな男も男前に見えますのね。
 でも、その背広を着なくなった年代の男は、奥さんが家計費から捻出した予算に見合った衣服を買って与えてくれるのを着る。小耳にはさんだのですが、ご主人より奥さんの衣服代のほうがず〜っと上なんですって。ご主人のは安売り店で、奥さんのはデパートでってことも多いとか。
 それじゃ男っぷりが上がるわけはないでしょう。
 私は女ですから、年とったいい男がうようよいたらいいなぁって思う。男は顔じゃないといいます。つまり、いい男に見せるには衣服しかありませんもの。馬子にも衣装っていうじゃありませんか。熟年の男性たち、着るものぐらいはご自分で選んでください。売り場の鏡の前で着てみて選ばなくちゃ、似合うものは見つかりませんのよ。
 私は石津謙介さんより甘いから、人任せをやめて、学んで少しでもその気にさえなればおしゃれは手に入れられるといいたい。
 あのですね、おしゃれってなかなか楽しいのです。格好いいなんて一度でもいわれてごらんなさい、絶対元気になります。元気も着るもの次第と思います。

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