今日のわたし
トホホホホ、またやっちゃった
第19話(2月20日更新予定)

 私仕事をしているのでなかなか友達と会えません。今度ご飯でも食べようねなんて口ばっかり。もっぱら電話で友達の絆を繋いでいるのです。
 先日も電話でAさんと雑談しました。で、その時AさんがBさんと会ったんだけど、近ごろ昔からの知り合いと話しているとほーっとするといいました。
 実は私とAさんとは20代の時知り合って仲良しになったけど、30代で小さないさかいをして約20年近く没交渉でした。でも50代のある日になにがきっかけだったか忘れましたが、また復活できたのでした。このことはうれしいことでしたから、AさんのBさんとの話を聞いたとたん、よかった! Aさんとまた友達になれてっていってしまったのでした。そしたらAさんが、私至らないとこ多かったからというようなことをいうのでした。そんなことないよと私いいながら、仲直りできて本当によかったとあらためて思ったのでした。
 先日夫の倉庫兼アトリエと、それにおまけみたいにくっつけた私たちのセカンドハウスが完成して、貸し倉庫に置いてあった荷物の引越しをしました。その時生活道具の荷物の整理を、約30年もつかず離れずでつき合ってくれてきたCさんに手伝ってもらいましたが、長年の知り合いは私の欠点も十分承知だから、なんでも任せることができて助かったのでした。こういう友達がいる私は幸せ。
 先日地方に住む友達が亡くなりました。その友達とは10年ちょっとのつき合いでした。すてきな人でその上奥ゆかしい人柄の人でした。いつからだか親戚みたいなつき合いになっていたのでした。そんな大事な友達の命が残り少ないとわかった時、何も助けることができなくてつらかった。力になってあげられないもどかしさに悶々としているうちに亡くなってしまったのでした。友達がいのない私だったのでした。今は電話をかけても声すら聞けません。亡くなるということはとりもどせないことなんです。
 友達Dさんは、あの人より生きさせてもらっている私たちのこれからは、おまけの命なんだから良く重ねなくちゃ、というのです。それがあの人が残してくれた力というのです。友達もDさんも50代、私は60代。Dさんはまだおまけの命ではない年齢だと思うし、友達の死が惜しくてつらいのは彼らが50だからと私はDさんのきれいなまっすぐな目をのぞきこみながら思うのでした。
 そうなの、なぜかこの前から夫が「むーらのわたしのせんどうさんは こーとし60のおじいさん」と歌って、「この歌のおじいさんは59なんだよね。昔は59はおじいさんだったんだなあ。おれたちこのおじいさんより年上なんだよ、ハハハハ」と苦笑していたけど、これは私たちにはすでにおまけの年いう気持ちがあるということです。そしてあと10年生きられるといいとも話してるのです。
 友達は医者から1年半ぐらいの命といわれたといっていました(ご主人は数ヶ月と聞いていたらしい)。でもしゃんとしておしゃれして前向きに暮らしていました。日々を大事にしようと思う。
 友人たちにたくさん力になってもらっていることを、ありがたく思う日がこのところ続いています。

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第19話(2月20日更新予定)