今日のわたし
長く連れ添うこつは味覚の理解しかないね

 近所のおいしいレストランが閉店してしまったので、疲れて帰っても食事の用意をせねばなりません。8時に帰宅すると、食べるのは9時近くになってしまいます。幸い夫はそのことに文句をいいませんから、こちらも愚痴ったりはできません。
 とにかく早くつくれるものを考えます。魚を焼く、ほうれん草を茹でる、小さな土鍋に水と豆腐を入れて火にかける、薄切りのきゅうりを塩揉みして絞ってじゃことしょうがの千切りをまぜる。焼き魚とほうれん草の胡麻あえと湯豆腐ときゅうりとじゃこの酢のものができました。朝炊いたご飯でいただきます!
 近ごろそういうのに慣れました。早くに食事の用意ができるようになりました。ギブアップしたい日もありますが、なんとかやっています。食べる段になると家のご飯がおいしいと幸せな気持ちになりますから、うちはこれでいいのだと思うのです。夫もおいしいおいしいといって食べてくれるので、なによりです。
 こう書くと、できた夫だと思われるでしょうね。彼は私と同じ1940年生まれですから、食べ物はおいしくいただければ結構なこととインプットされています。文句をいったことがありません。ただ彼の味覚はかなり偏っているものもあります。例えば海苔が大好きで、放っておくとトマトソースのスパゲッティにもかけてしまいかねません。今日はたらこのスパゲッティじゃないんだからだめといっても、おれ好きなんだけどだめかなあとぐずぐずいうのです。
 刺身は鯛であれ鰹であれなんでも海苔手巻きにしたがります。この前は、おいしい小鯛の笹漬けも海苔手巻きにしていました。さすがに、それ微妙なおいしさだからそのまま食べたほうがいいんじゃないの? といってしまいました。そしたら、おれの食べたいようにして食べるって。
 まあそういうタイプですから、料理は苦手です。だから私がつくるのをいつまでも待てるのです。年のわりにはパン食でも大丈夫です。外国に行ってもご飯に味噌汁に魚の焼いたのが食べたいなんていいません。出てきたものをおいしく食べます。
 彼も私も戦後の超食糧不足の時代に育ちました。彼は巡査の子で、姉弟は4人、上から2番目です。お母さんは大変だっただろうと思います。巡査さんて薄給だったらしいから。
 疎開先の親戚の家で食卓の上のめいめいに盛られたおかずを、多そうな人のと取り替えて大目玉をくった話を聞きました。今は夫の皿のは多めにしますが、その度にその話を思い出します。
 そして彼はおいしいものを最後に食べます。私も昔はそうしていたかもしれませんが、ある時、おいしいもののはずなのにお腹が一杯のせいでおいしくないことに気づきました。それでおいしいものは先に食べることにしたのです。だから夫に先に食べたほうがおいしく食べられると教えるのですが、夫は好きにさせてくれ、といいます。育った環境で身についた習慣は意識を持たないと直せません。
 同じ時代に育った者どうしは、味覚もあまり変わらずそういうことも一応見過ごせます。それで長年連れ添ってこられたのかもしれません。

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